保育園の密室化が叫ばれて久しい。たぶん。
私は密室というと「本格」推理小説を思い出して、有栖川有栖を思い出してしまい、密室大図鑑に手を伸ばしそうになるのだがそれをぐっと堪える。
保護者に保育園で何をしているのかをみせたい。
実際に来てもらうか、来ない人にも判るように、発信するかしかない。
「何をしているか」みせるというのは、行動の提示をすることじゃない。
つまり「あそんでる」とか「たべてる」とか「ころんでる」「絆創膏貼ってる」というのをみせるのではない。
ただみせるのでは、保育園にきて、保育を見学してもらっても「こちらの伝えたい事が」何も伝わらないこともある。
保育士は、ただあそばせてるだけ
保育士は、こどもがたべてるのを見てるだけ
見てたのに助けないで、ころばせちゃってる
たいした怪我じゃないのに、絆創膏なんてはっちゃってる
そう思って帰られても仕方ない。伝えてないなら仕方ない。
保育をみせるというのは、伝えることだ。
来てもらったなら、伝えないと!
来てくれないなら、伝えないと!
動画も、写真も、手紙も、記録の公開もぜんぶ有効。
伝えなくてはならないことをはっきり意識化して組み立てて戦略的に行えば。
そして、保育園に来られなくても、頻繁に実際には見てなくても、
よく理解してくれる保護者というのは生まれる。
たまに来た時に、鋭い質問をしてくれる。
「こないだの園だよりのあの言葉の意味ってさぁ」って。
受け取り手の感覚感度の良さももちろん関係はする。
同じ言葉で同じように同じタイミングで言っても、伝わらない人もいる。
でも全部「あの保護者、感度悪い」で済ませてたら発信者の成長なし〜♪
「お迎えの保護者に動画毎日見せてます。」
「写真をループで入口にiPadで毎日飾っています。」
それらは、何が起きたかを見せる手段として非常に優秀。
それにどんな説明をつけるのか。
それが「保育を見せる」「脱密室化」ということなんじゃないかな。
もし説明がないのならば、写真や動画の選択は慎重にしなければ無用の誤解を生む。
受け手がイメージを膨らませて、受け取りたいように受け取るというコンセプトの芸術写真ではないから。
(誤解から対話も生まれますけどね)
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実はこの記事元タイトル、「保護者との動画共有、写真ループ」というものだった。
2014年の10月に思いついてメモしたらしい。
その頃書きたかった内容と今このトピックを見て思いつく内容が同じなのかそうじゃないのかはわからなかったのと、今はこっちが書きたいとおもったので、思ったことをかいた。
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