アンチ「べき論」について思ったこと

「〜すべき」「〜であるべき」という考え方が色々なところにあって、生きにくいとか同調圧力になっているとか。完全に同意します。が、これらのベキ達のほとんどは獲得されたもので経験や体験のタマモノでもある。タマモノという言葉が適切でないとすれば、積み重ねということか。

 

『ベキベキ』いう人の生き方も、言わない人の生き方も、

そういう風に育ったんだ、っていう証。

いいとか悪いとかじゃなくて今までそう育ってきました。

ということ。経験を積んだらベキが増えるのかも。ある意味成長するというのはベキが増えることかもしれない。

 

言わない人だって、「ベキベキ言わないべき(言うべきじゃない)」というベキを持っているわけで。

 

この世の中はある程度、そのコミュニティに属している人々共通のベキ達が集まって成立しているところがある。ベキ達が文化を成立させているところがあると思う。だから私は全てのベキの保持がダメとは思わない。

 

 

そんな中、わたしが子どもに接している中で大事にしているのは、

 

*自分のベキを子どもに一方的に押し付けないこと

*相手のベキを攻撃しないこと

 

なのかな。

 

「どうして勝手に隣の家のトマトをとったらいけないの?」

 

「ダメにきまってる」「とにかく、取るべきではないから」「泥棒だ」

と言うだけで説明をしないか、

 

「おとなりの人が丹精込めて毎日楽しみに世話をしているんだよだから、・・・・・・・・。」とか「隣のおうちにあるものは、・・・・・・・・だから、・・・・。」とか何らかの説明をして対話をするか。いい説明が思い浮かばなくても、会話はできるはず。


わたしの個人的な観察によると、相手が自分の思い通りにならなかった時、「べき」を多用する人たちは声を荒らげたり大声を出したり、叩く真似をして相手を威嚇したり、実際に叩いたりすることが多いように思います。

 

どんなに小さな子どもでも、なにか許容されないことをしたらそれを止めるだけではなくて、理由も合わせて言葉で伝えてほしいなぁ。

時に面倒なことはあるかも知れないけれど、、、。

 

「べき」を押し付けられて育ってきているなと感じる子どもたちも、自分のべきから外れた行為を他の子がするのを目撃したり、されたりすると攻撃的・口撃的になるのが多いなぁと・・・。

 

私はそういうのを見ると悲しく、時に嫌な気持ちになります・・・。