子どもを巻き込んで圧力をかける

クラスルームにて。


「この野菜、食べたくない」と言った子どもに対して、「それ食べられないと大きくなれないよ。おかしいよ〜。ねえ、みんな、食べられるよねえ?頑張れ頑張れって応援してあげようよ!」などといって、「食べられるまで見守る」という名の監視をしたり。しかもクラスメイト全員に監視される。コワイ‥‥‥。


クラス全員の前で、「◯◯ちゃんたちだけ、積み木で遊びたいなんて言うのはわがままだよねぇ。皆でやめてって言おう!せーのー、や〜め〜て〜。」などという断罪の仕方。(更にそこに、「やめてくれたね。やめてくれたからみんなでありがとう言おう。せーのー、「ありがとー!」)


権力を持つ先生発信の行動なだけに、どちらかのサイド(往々にして先生サイド)につかなくてはならないとう強制、強要があるようにおもえる。

 

こういう対立構造を作って相手をやり込めるようなやり方。


対立構造を作って、その一方に大人が付いてもう一方を断罪するやり方(もしくは吸収してしまうやり方)は子どものクラスを作っていく中では容認出来ないやり方だなとおもっている。

 

無意識にこうなっていることって、よくあると思う・・。


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大人は本気を出せば、子どもたちを圧倒できる強大な力を持ってしまうのだから、どちらかのサイドに付かなければいいのにと思うんだな〜。


子ども同士が対立している場面では、中立に立って両者が解決をできるように手助けする役をやればいいのに。訴訟じゃなくて調停すればいいのにね。

自分が当事者ではない時に、当事者になりきらなくていいのに。

自分が当事者なのに、思い通り子どもを誘導できないからといって、その他の子どもを巻き込むのもやめて欲しい。←これが最も嫌なやり方。


大人自身が直接Aさんに圧力をかけないで、周辺の子ども達に圧力をかけて巻き込み、その子どもたちがAさんに対して圧力をかけるの・・・。

しかもこれが一連の自然な流れとして成立している現場はつらいね。


結論が決まっていない対話っていうのは実行するのは勇気がいるけれどやってみるとなかなか面白いものです。