保育の理想のコミュニティ【多重のゆるいつながり】

(昨日のつづき)

私自身は、共同体というのは全体主義的な集団行動ができることとは考えていないので「全員で同じことを行う」ということに重点を置いていない。同じ行動をすれば、理想としている共同体意識が芽生えるのかといえばそうではないと感じているから。

 

理想としているコミュニティ、共同体というのは、

【多重のゆるいつながり】でクラスが相互に思いを馳せられる関係。

「あ、あいつは今日はあそこにいるのか」

「◯◯先生は休みか」とか

「あの子は絵の具やってるな。ワタシは粘土やる。」

「あの子は積み木をそっと立ててるから隣でジャンプしないほうがいいか」とか、思うそういう子どもたち。と、それを感じる大人たち。

 

その思いをたどればクラス全員につながるような。

 保育者が全員分を一方的に把握する関係でなく、子ども同士がつながるイメージ。風船屋さん(先生)がその手から出ているクラスの人数分の風船のヒモを握っているというのではない関係。


互いの動向を知る時間、例えば朝の会などは大事にしている。

 

そういう中で、「自分のしたいこと」と「他者のすること」を認識・意識するようになる。そして、重要なのは「他の誰かと一緒のことをしなくても認められるのだ。」という安心感。


一人遊びだって認められる、ということ。

クラスのどの子どもも複数遊びと一人遊びを躊躇なく選べる。


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こういうことに配慮をしながらクラスをつくる結果が面白い。

 

いざとなったら、ものすごく強い関係、協力しあう力、認め合っているからものすごく仲が良い。こういう子どもたちのあそび方は、直線と直線を合わせるイメージではなく、凸凹のある相手に自分の凸凹を合わせていく感じ。相手が直線の場合は自分の凸凹を直線に伸ばして付き合うという技も持っているよう。気を遣って遠慮をするのとは違う、応用力としての自然な技。

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園における【多重のゆるいつながり】は ただゆるくつながっていて安心感を得るというのではなく、いざというときには強固なつながりとなっていく。絹のよう。

 

保育者の、「意識的でかつ自然な」日々の働きかけがとても重要ではあるけれど、このようなクラスを作ってしまえば、あとは循環しながら育っていく・・・。

 

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細かく、一日の中で何をするとか・なんと言葉を掛けるのかというのは書き出したらきりがないのでお話をする機会があれば・・・と思う。