タイトル通りなのですが。
どうしても保育の現場ではこの観点が抜けているなぁと思うことがあります。
絵をかくことの意味というのは色いろあると思うのですが、教育現場ではいわゆる「作品」という方向へ向かって行くことが多いです。物語的な絵と言ってもいいかもしれません。
私がここでいう「必要」というのは、他の人に伝えたいことがあってそれを言葉で伝達すること(に障壁があって、それ)を補完するために使用するサッと描くような絵のことです。書かねば話が進まぬ必要にかられてかくような絵。物語的ではない絵です。
運動会の後に4つ切りの画用紙に、絵の具で描く「えんどう会の思い出」の絵などは物語的な絵かもしれません。
運動会の旗のことを誰かに伝えたくて、でも言葉じゃ伝わらないから描く絵は「必要」な絵、「手段としての」絵、です。
例えば、好きな電車のヘッドマークのことを伝えたいのに言葉じゃ理解してくれない人に説明するためにさっとかく鉛筆画のことです。
伝えたら、役目は果たしたので捨てられて当然の絵です。
「せっかく書いたのにもったいない」じゃない!
別の価値観のある、存在意義が刹那な絵です。
いい加減コレを認めてはもらえないでしょうか。
以前立体作品など、子どもたちが「なにか作りたい!」となった時に設計図を書いてもらっていました。その設計図は、色を塗ったりして凝ってもこらなくても必要が満たせればそれでいいと思っていました。
それに基づいてつくる、もしくは一旦平面にアイデアを落としたからこそ見えてくる不備や、明確になるアイデア。
設計図はそのための道具に過ぎません。目的ではないので。
だから、捨てたい人は捨てても構わないんです。
この設計図の出来がすばらしければ、作品展で飾ってもいいと思いますよ。ただひとつの条件。コレを作品とは扱わずに、「設計図」という説明と共に、活動全体のドキュメンテーションを添えて活動の過程の一部だと判るようにしてあれば。
設計図が目的ではないのですから。
そこのところを間違えないでほしいです。
物語的な絵を追求して画家になる人がいれば、手段としての絵を追求していろいろなデザイナーになる人もいますから。
どちらも存在していていいのですよ。
物語的な絵の偏重はやめにしたいものです。
以上で〜す☆☆
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