うんどうかい 「工夫」して 意義を見失い

「なんか味がたりない」「なんか味が変」

 

お料理をしていてそんな時、

調味料を足したり、

お水を入れたり、

長時間調理してみたり、

必殺「そうだコロッケにしよう」作戦に出たり。

 

しかし時間はかけたものの結局、ダメ。

不味くはないけど、美味しくはならない。

 

そんな経験あります。はい。

 

それ、いろんなことに言えるんじゃないかと。

 

今日頭のなかにあるトピックは、そう、小さい子たちの「運動会」。

 

運動会の種目が変だの、音楽が変だの、日程がおかしいだの、衣装を縫うのが誰なんだとか、残業代出せとか、テントを建てるなとか、前日から並ぶなとか、もう、そういうもろもろの。

 

そういうことに配慮して、色々「工夫」するんですよ。たくさんの園が。

でも「工夫」が奏功することが少ないんじゃないですか。

 

「工夫」というよりは、「悪あがき」というかどんどん本来の目的とは離れていく。本来運動会ができた当時の「目的」と違う目的を持って同じ題名のイベントを行おうとしているなら、そういう乖離が起こるのは当たりまえ。

 

だったら一回全部やめやめやめ〜!とやめちゃえば?

 

来年の年間行事予定から運動会の文字を撤去すればいい。

 

それで、「今年行った運動会の真の目的と意義」を考え直せばいいじゃないか。そこで出てきた意見を集約して、それが実現できるようなことをすればいいのではないの?

 

例えば、本当の目的は

(保育計画目標ねらいのところになんて書いてある?)

 

*「運動」なのか?

*「みんなでお弁当を食べること」なのか?

*「おばあちゃんおじいちゃんに園を案内すること」なのか?

*「子どもが普段生活をするところに保護者がやってくるという非日常を味わう日」なのか?

*「勝ち負け下克上を教える日」なのか?

*「イベントに泣かずにに参加したら「ご褒美」がもらえる日」なのか?

*「嫌でも叱りつけてお遊戯の練習をさせて、『協調性』を学ばせる練習をさせるためにもうけられたX-day」なのか?

*「みんなやってるのに一人だけやらないのはおかしいよ。先生困っちゃう。パパ・ママ、がっかりするよ。恥ずかしいよ。おばあちゃんに見せようよ!頑張ろうよ!頑張れるよ!」と同調圧力とか色んな変なプレッシャーに屈する訓練をさせて、何かを諦めることを覚えさせる日なのか?

(あっ、皮肉になっちゃった)

*「私達、寝ないで残業代ももらわないで、指導をここまでやりましたよ。」というのを表現した保育者の「作品」としての子どもたち、の展覧会。(わわわ、もっと皮肉になっっちゃった〜〜)

 

(一生懸命な先生たちの名誉のためにいいますけど、保育者や幼稚園の先生たちが本当にそれをいいと思ってやっているかと言ったらそんなことはないかもしれません。伝統だからとか園長からの圧力とか、一部保護者からのプレッシャーとか、そういういろんなことが複合的に絡み合ってこうなってるんです。)

 

 

もっといろいろあって、大事にしていたこといくつかありますけれども、それは各園違うでしょう。

 

例えば、(私がそう考えてるというわけではないですよ)

 

*泣かずに親から離れて参加することに意義が有ります、だったら別に「運動」じゃなくてもいいわけだし。

 

*「たくさんの家族でお弁当」が目的なら、公園で「ピクニックデー」でもいいわけだし。

 

*「何らかの演目を見ながら、写真を撮る会」 をしたいなら「保護者の出し物」だって、どこかから「影絵劇団」を呼んできたって、別にいいわけです。

 

以上の例は極端ですけど。ちゃんと考えてよってことなんです。

 

運動会の視点で考えると、個人的考えとしては、


保護者をよんでいるのは、「あなたのお子さんは、こういう成長がありますよ」っていうことを保護者に確認してもらう、成長をみてもらって前向きに子どもを捉えるようにして欲しいから。だから、「うちの子は他の子に比べて〜〜だ」ということの確認に来て欲しいんじゃないんです。

運動会のあとで落ち込む親とその子どもは多そう。

 

「◯◯くんは、はやく走れるのに、☓☓ちゃんは走るのダメなのね。」みたいなのをメディアなどで見聞きすると悲しい気持ちになります。「そこを見て欲しいんじゃないのにな」という気持ちで。まだ1歳、2歳なのに。

 

私のいた園では、2歳で「いろいろやっちゃうもんね走」という名のショウガイブツ走がありましたけど、コレはショウガイブツを無視して走り去っても、一個ずつショウガイブツをクリアしてもいいというものでした。2人ずつ出走しても個人個人やることが違うので、早さでは早くてもショウガイブツを全然乗り越えていない。遅くてもいろいろな障害を乗り越えた。という別の価値観で競技を見られるものです。だから早さで嬉しい子はそうすればいいし、一個ずつクリアする楽しみを持っている子はそれでいいし、やりたくないのは飛ばせばいいし。そのショウガイ達も全て普段の遊び場にあるものでしたから、特別なことをさせるわけでもなく、なかなか和気藹々として好きな競技?でした。ただ、やはりやりたくない子もいましたし、親と一緒に走る子もいましたし、何でもありでした。無理に親と離すのが目的の会でもなかったですし。

 

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以前、会議で「運動のみ」から離れて広い公園で保護者と子ども(0歳から)が参加できるような複数のアクティビティブースを設けてイベントをやろう!となったことがあります。クラフトのブースもあればゲームや運動のブースも設けて、みたいな。みんな思い思いの仮装とかしてきても楽しいですね!とか。。。


ただやはり、「やったことがない」ことへの恐怖感とか、保護者に何を言われるだろう、とか「他がやっててうちはやらないのは‥‥」とかいろいろ想像ができないと「実行しよう!」と決意するのは難しいみたいですね。

 

そろそろ大転換期を迎えたいものです。

 

運動会をやめて仮装大会にして家族みんなで楽しんでいるなんて言う幼稚園もあるそうですよ!