ひとのショウニュウドウ化について

ちょっと今日は子どものことから離れますが。


鍾乳洞、行ったことありますか?洞窟の上からはつらら状の鍾乳石が降りてきていると思えば、天井や鍾乳石から滴ったものから出来た柱が床面から天井に向けても伸びているというあれです。時々上と下がつながって柱になっている。


徐々に大きくなっていくのですから面白いですよね。

人の成長もコレに似ている面があるなあと思っています。


鍾乳石に、新しい経験や知識がひっかかって、徐々に大きくなる。

つるっとしていて、ひっかかる出っ張りがなければ、みにならないで流れていってしまう。


専門家同士では面白い話でも初心者にはつまらない・理解できない。

同じ種類の鍾乳石を持っていても、大きさが違うからまだ理解し得ない。


例えば、保育の講演に行って、古代の哲学と思想と歴史と政治の話を例に出してずっと語られてもわからない人が続出する。例がわからないから本筋もわからない。


コレは講演者が聴衆を見誤っているのでダメといえばダメなんですけど、このわからなさを講演者「だけ」のせいにしてはいけないのです。中には古代哲学の鍾乳石を持っていて「ニヤッ。グフフフ。面白い例えをするな」と思って聞いている人もいるのでしょうから。そういう人はこの講演者が大好きになるでしょう。


この場に自分がいて、鍾乳石がない立場だとしたら、


まずはメモなどをとってみて興味が持てるように努力。それでダメなら、

私は自分にある鍾乳石を使えるように工夫。

もう、内容については一切捨てて、「講演者の身振り手振り、間のとり方などの態度を学ぶ場」に変えるとか、それもダメならファッションチェックにするとか、スケッチをして絵の上達を図るとか、、、。


わたしが家に帰ってから古代の哲学を学ぶかと言ったら。。。。どうでしょうか。人間やはり好き嫌いありますからね‥‥‥。法哲学:ギリギリ可、でしたから。そろそろ哲学から逃げまわるのはやめないとかな〜。

きっと帰りがけに素直に哲学の入門書を買う方もいると思います。その人にはもう哲学の鍾乳石の萌芽が!ってことですね。


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専門家はその分野についての大きな鍾乳石を持っているからよりそれを伸ばせる、もしくは持っている(一見、別分野の)鍾乳石の複数をつなげてさらなる高みへ行ってしまえるから面白くて仕方ない。

いいなぁ〜。


個人的にはこういう専門家が集まって、全然一般人にはわからないことで祭り状態で超盛り上がってるのを見るのは好きですよ。

面白いから。


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様々なことに疑問を持ったり、その解決の糸口を探ったりするためにはショウニュウドウ化をおすすめしたい。


1、生まれながらに持っている鍾乳石をなるべく失わない。

2、新しい鍾乳石を生やす。(一芸が天才的ならいらないかも)

3、その鍾乳石を徐々に大きくする。

4、鍾乳石同士つなげたり組み合わせて新しい発見を!


メンテナンスを怠った鍾乳石は小さくなるけれど、なくなりはしないのかな、となんとなく思っています。何かのタイミングで復活の兆しを見せそう。ヘルペスウィルスみたいに(笑)←コレだって私の口唇ヘルペスの経験と調査からくる鍾乳石ですよ!!


本道の他に、忙しくならない程度に色々かじるのも悪く無いです。

鍾乳石のはじめの一歩くらいにはなりますから。多面的に物事を見られるチャンスが増えますね!


話題が多いとモテるらしいですし☆☆

適切な話題を提供する力がすごいんですよね。

話題の種類と数=ショウニュウドウの種類と数かも。

まあ、話題提供の適切な「タイミング」を知る必要があるので、モテるにはタイミングの練習も必要ですけどね。


ひとのショウニュウドウ化っていうのは勝手に命名している名前なのですけれど、きっと誰か偉い先生がちゃんとした名前をつけてると思います。


(ちょっと幼児教育に引きつけて言えばスキャフォルディングとか、土台、足場。からの、一部はZPD理論につうじますかね。笑。)


それにしてもやっぱりワイン造りは人の成長に似ているなとコレを書きながら思ったのでした。:P