0から2歳児あたりの子どもたちの表現の動機について以前書きましたが。今回は紙にクレヨンでかく想定の「絵」を例に考えたいと思います。
「何を思ってクレヨンと紙に向かっていると思いますか?」
この「かく」の動機を大人が考えると、割りと「紙重視」になるというか、手からより離れたものの方に「どう変化が生まれたか」に目が行きがちです。行為を行った対象の方に目が行きがち。
「どんな風にかけるかな?」「わあ、色がいろいろある!」
と思っているとおもいます、って。コレ、大大大正解だと思います。
(つまり、「作品」をつくろうとはしていない、ってことですね!)
読んでくださっている方の中には「高評価を得られる素晴らしい作品を作成しようとしている」という答えをされる方はいらっしゃらないという想定です!
でも、もう一つの方を忘れてない?
紙とクレヨンの方。
「これなんだろ?」「どんな風に使えるのかな」です。
こんなふうに意識的に考えてはいなくても、行為の意味するところはそうだろうとおもいます。つまり道具の実験。実感で味わい、知る。
クレヨンにフォーカスを当てる、クレヨンの探求。
そこの視点がかけていると、クレヨンで遊びだす子どもたちにきつい言葉をかけてしますようになってしまいますね。。。
「そうじゃない、そうやって使うものじゃない」って。
まずはクレヨンだけを味わう時間を作ったらいい。
紙自体もそう。
「せっかく紙とクレヨンを用意したのに、紙を全部破っちゃった!」
そりゃそうですよ。まず紙の探求をしたかったんだもん。
自分の身体と素材1つで探求できるもののほうが必要度、が高いんだなぁ〜。
:紙とじぶん
:クレヨンとじぶん
そのあと、
:クレヨンと紙とじぶん、でしょうね。
一番最初から、大人が紙にクレヨンで、かいて見せて「こうやるの!」と教えることには余り意味が無いと思います。
子どもの発見の機会を奪っている。
「お、コレ、自分の手で形が変えられる」
「お、コレかじるとポロポロ欠ける!」
「なぬ、多様な種類があるんじゃんか!」
「打ち付けると音がするんだ」
「床に打ち付けると音がするんだっ!ちょっと!えっ!お、お、コレ、床に色がつく!!!!!!自分の手で、色が付けられるってなんかいい〜!!」
とかね。こういった新しい発見をした時の人の顔って見ている人も巻き込んで気分がアップ↑↑します!
面白いのは、必ずしも、笑顔になるとは限らないんですよね。
真剣になって実験者の顔になることもありますし。コレを観察(?)するのは本当に面白く保育者冥利に尽きるのです。ですよね!保育者の皆さん!
こういう感動や、自分で「発見した!」っていうエキサイティングな経験のチャンスは本来誰にでも与えられている機会です。
発見経験を積み重ねて、周りの世界を見つけて自信がついていくのでしょう。ですからこういう経験は子どもを先回りすること無く見守ってほしいと思います。
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参考に・・・
いわゆる「表現」の例:
<変化の起きる対象物、道具、身体に近い道具の順に書いてあります>
:粘土に 手で(粘土)
:動きを 身体全体で(身体表現)
:紙に クレヨンを 手で(描画)
:木に 釘を カナヅチで 手(木工)
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