アレルギーは「かわいそう」モンダイ

いろいろな園、学校で食育方針などは話し合われていると思います。私もいろいろな人達と園における食事について話してきました。


その中でやはり一番と言っていいくらい大きなトピックが【アレルギー】です。食品アレルギーを持っている子どもたちはとても多いです。年々増えているようですね。


私も身内にも甲殻類などのアレルギーを持っている者がいます。

カレは、「えびかにたこいかじゃこ・・・・・」と自分がアレルギーな食品については2歳になる前くらいから呪文のように言えるようになり【水金地火木土天海冥】的な感じで兄弟で楽しく唱えておりました。

(写真が牡蠣なのはそのため?!)


誤食は生死に関わるので、全然楽しいことではもちろんないのですが、いくら悲観しても仕方がないという考え方&誤食防止のためだと思います。


保育園では、「みんなと同じものを食べられないとかわいそう」という意識が強いところはとても多いと思います。また、それは保護者も同じで、

「他の子どもと違うものを食べていたらかわいそう」という意識になるようです。


本当にそうでしょうか?と疑問を持っています。


個人的な経験で申し訳ないのですが、私が今まで経験してきたいくつかの園では、余り【かわいそう】だったことはないような気がします。大人が思っているほど子どもたちは「ちがう」ことにあまり【かわいそうさ】を感じていないように思います。大人が「かわいそう感」【憐憫の眼差し】を出すからそれに慣れていくような気がしています。


小さい時から、努力しても変わらない可能性がある「人と違うこと」が1つあるっていうことなだけ。


「俺サー、エビアレルギーだから今日は給食別メニューだぜ〜」

「わたし、お弁当持参だよ。アレルギーで今日の給食食べられないから!」というような、それがあたりまえな心持ちになるように環境を持っていけるのが子どもにとってはいいのではないのかなと思うのです。

なんなら、【お前らみんな一緒のもん食べてんの?ダッセー!】とか思っちゃえるような子に育ったっていいんじゃないかって思っちゃうんだよな〜。ちょっと極端だけど。それくらい明るくっていう意味ね。


(どうやったって集団では迷惑かけたり、我儘言ってるって思われちゃうんだから「申し訳ない」と思う人になることが多いし、明るくないとやってけない。)


他の子達がケーキを食べているのに自分だけ食べられない、とか、そういうのってぜったい悲しかったりつまんなかったりはすると思いますよ。でも、だからってそれを嘆くことを教えたってしかたないし、日本ではみんながパーティーの時にアレルギー対応の食品をいつも持ってきてくれるとは限らないですからね〜。


「わたしはこう。」

「あいつはこう。」


アレルギー関連会議は、そうやって理解してればそれで済む話なんだよなぁと思うことがいっぱいありました。


無理矢理卵に似せた卵っぽい色した、よくわからない食べ物とか。

似せることだけに注力するような本末転倒な料理だったら、しなくていいじゃん。じゃあその日は、好きなもの食べさせてあげればいいのにと思っちゃう。

【本物】に似せた料理をつくることだけが愛情とかじゃないから。


ここで、「他の子の手前・・・」っていう理由が出てくるなら、ホント考えなおしたほうがいいと思います。なんか、いろいろ。


他の子がいじめる、とかそれも含めてやはり小さい頃から「みんな一緒」が正義というのをすりこみすぎなんだよなぁと思うのでした。


では今日はここで失礼。


(お米もパンも小麦も蕎麦も主食が全部食べられない、とか、水アレルギーとかそういうもう私には想像もできないような重度のアレルギーの方のことはわかりませんのでQOLをどうバランスをとるのかなどについては専門家におたずね下さい。)