2−3歳になってくると同じ場所で、同じおもちゃで(必ずしも共に遊びたいという気持ちではない時もある)遊びたいという気持ちから他人の遊び場に入っていくようになっていくことが増える。
そこで、スペースに入ってこられたりおもちゃを持って行かれたりしたほうが嫌な顔をしたり抗議をしたりすると周りの大人が独特の抑揚で「い〜れ〜て〜、でしょ」とか「か〜し〜て~、でしょ」とか言う。
で、子どもはそれを覚えて、「か〜し〜て〜」と言う。
それを言っても欲しいものが手に入らなければ大人に泣きつく。
「か〜し〜て〜って言ったのに貸してくれない」と。
大人は「か〜し〜て〜って言われたなら貸してあげなさい」という。
コレについて不思議なところがある。
これはコミュニケーションスキル獲得の補助になってるか?
予定調和の掛け合いを覚えただけで、
相手が予想に反した反応をすると応用がきかない。
How are you?
I'm fine thank you and you?
Fine thank you.
の一連の流れを期待しているのに、
How are you?
Not bad.
と言われたら????となってもう会話が進まないのと一緒。
そして、誰か権力を持っている人をつかって
I'm fine thank you and you
と言えとプレッシャーをかけてくる。
おかしくないか?
コミュニケーションを教えたいなら、声のかけ方が違う。
この抑揚があるから歌や呪文のように聞こえているのではないだろうか。これはわらべうたなどに通ずる日本語特有のもので大事にしたいというのはわかるけれどもそれはそれ。
コミュニケーションの場に持ってこなくてもいいんじゃないかなと思う。
個人的な経験から言えば、「か〜し〜て〜」「い〜い〜よ〜」は子どもが自然発生的に言うというのは気のせい。その文化を誰かが持ち込まない限り発生しない。そして、その効果が見えなければ子ども同士で伝播しない。
これらのフレーズには、かならず「い〜い〜よ〜」が対になっていて、拒否する術がない。
だから、両者を一気に覚えていると本当は一緒に遊びたくなくても「い〜れ〜て〜」といわれたから「い〜い〜よ〜」と反射的に言ってはみたものの、その子が遊びに入ってきてしまって初めて「い〜い〜よ〜」と言ったらこういう結果が待っているのか、と理解して、「やっぱり一緒にあそびたくない」という気持ちで突き飛ばしたりする。
そして、「い〜れ〜て〜」といった方は混乱する。
で、うっかり「い〜い〜よ〜」といったほうが怒られる。
残念。
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うっかり「いいよ」と言わないことを覚えるための訓練だったらいいのだがそういうことではないでしょう?
うっかり入れちゃった本当は遊びたくない人と表面上仲良くやることをおぼえるためのフレーズなのかな?
この一連の流れに慣れれば対立しなくなるかもしれないけど、慣れることがいいことなのかしら?つまり考えないってことに思えてしまって。
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2歳位になれば、
「一緒に遊びたいんだけど、何してんのー?」「僕もやる」
とか
「それ私も使いたいんだけど、いつ空く?」「まだつかう〜?」
とか、そういう普通の会話を周りの大人が見せていれば、子どもは言葉を覚えるし、無駄な誤解、無駄なストレスがない気がします。
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偉い先生方もおっしゃっていますが、「かーしーてー」が脅しだろうっていう話も面白いですが。まさに。
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