「どうして教育分野の方へ来たのですか?」とよく聞かれます。
いくつか理由はあると思うのですが、大きな理由の1つは自分自身が受けた教育の影響です。
一番最初の集団生活は多分家の隣の児童館。
実家の隣にあったので毎日のように行っていました。そして、年中からは幼稚園へ。幼稚園時代も、幼稚園よりも帰ってから行く児童館のほうが楽しかった思い出があります。
その頃の児童館は、(というよりその児童館は、ですね)なんでもあり!の場所でした。なんでもありというのは、責任を持たせてくれるところだったということです。先生たちが子どもを信頼していた、といえるかもしれません。そして、それは個人の責任論というよりも、仲間といることで小さい子の面倒は大きな子が見る、ということだったと思います。だから、小さい子がなにか一人で責任を追わなきゃいけないってことではなく、かといっておかしな連帯責任でもなく、いい塩梅でバランスと保っていた場所でした。
そんな日々の中、なんといっても面白かったのは
庭に職員が勝手に2階建ての小屋を建てて市から怒られたり、
鶏をさばいて食べて非難の嵐を浴びたりしたこと。
庭で毎日ドラム缶でゴミを燃やしていたのもいい思い出です。そこで、「髪の毛を燃やすとタンパク質が燃えて臭い」、などと教えてもらったのを覚えています。
パワフルだった名物職員が2−3名いらして毎日がとっても楽しかったことを覚えています。
親の協力もかなりあり、「父ちゃん会」という会が楽しそうでした。今はもう無いそうなんですが、週末誰かの家で父ちゃんたちが集まってワイワイ飲んだり、いつもの週末は忙しい父ちゃんでも、イベントのある夏祭りなどは絶対に屋台を出してくれたり大活躍の場でした。
とてもいいコミュニティでした。
それも私が中学生か高校生くらいの時に消滅していったようです。
周りにマンションが立ち始めたのと同じ時期ですね。そして名物先生たちが引退や転職をしていった頃です。
(多分、市から厄介がられていたんだと思います。)
この名物先生たち、
T先生、H先生、K先生、U先生。みんな名前覚えています。
そして、私の親のほうがよく覚えていて幼稚園の先生の名前はいまいち覚えていなくてもこちらの先生方のことは鮮明に覚えているようです。ワタシもです。
長くなりそうなので続きます。
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